竺仙(ちくせん)のゆかたは多くの職人の技に支えられ、その美しさが受け継がれてきました。昭和60年ごろ東京には50数軒もの注染(ちゅうせん)※1工場がありましたが、現在はわずか5軒までに減っています。
その中で、ゆかたを染めているところは2軒。今回は、創業時から竺仙のゆかたを美しい色に染めてきた染めもの工場を受け継ぐ染め職人、伊藤爲久さんのお話を伺いました。
三代目となる伊藤爲久さんは現在62歳。江戸川で生まれ育ち、自然と下町気風を身につけ、日本的なものに惹かれていった伊藤さんにとって、「家業を継ぐことは自然な流れだった」と言います。
染色の仕事は3K以上の汚さや辛さがあります。冷暖房は染色に影響を与えるため、一切使用しません。冬は外気と同じ寒さの中で、夏は42〜45度にも達する中で、作業を行います。朝7時半には工場に入り、日の暮れるまで、やるべきことは際限なくあります。しかし「辞めたいとか嫌だとか思ったことは一度もない」と伊藤さんは言います。この不思議な魅力はどこからくるのでしょう。
近年はモノづくりに携わりたいという若者、特に女性が応募してくるようになったそうで、ここ3年で20代が8人にも増えたそうです。
「若者を採用して4年目になりますが、一人も辞めていません。修行の身のため給与も高くはありませんが、モノづくりが好きで続けているのです」。
染め仕事は、型を付ける、染料を注ぐ、洗う、乾かす、と工程ごとに分かれた専門職。傍目には単調に思われがちですが、同じ染料でもその日のコンディションによって色の出方も異なり、「毎日、柄が変わる」面白さもあるそうです。特に、藍においては「藍が染められれば一人前」と言われるほど難しいと言います。
伊藤さんに常日頃、大切にしていることは何かをお聞きしたところ、「職人の意地」という言葉を何度も口にし、次のように語ってくれました。
「とにかく良いものを作りたい。なかなか納得はできないけど、他の紺屋(染物屋)には負けたくない。染料にも色々あるが、やはり本物を使わないとだめ。良いものを作るためには、工賃を度外視することだってある。職人の意地なのでしょう。」
そして、「”良い”とは言わない。そんな風に思ってはいけない。この仕事には限りがない」と、ご自身をも戒めるように続けます。
「自分は技を見て盗んできた。今は昔と違って早く仕事を覚えてもらいたいこともあり、基本的なことは教えるが、それを習得したら職人の技を見て盗んでほしい」。これからの若い人たちに、伊藤さんはそう期待しています。
※注染(ちゅうせん):染めの技法のひとつ。
染めない部分の生地に糊を付け、乾燥後に染める部分に土手を作り、土手の内側に染料を注いで染め上げる技法。
企業情報: 株式会社竺仙(ちくせん) / 問合せ先:03-5202-0991